今回「ジャーナリストもどき」をしてみて,思い出した人がいます。
2004年にイラクで亡くなったジャーナリストの橋田信介さんです。
橋田さんとは接点がありまして,お宅にお邪魔したことや食事をご一緒したこともあります。
きさくな「普通のおじさん」で,戦争ジャーナリストとはほど遠い方でした。
銃弾の飛び交う死線をくぐり抜けてきた気配すらありません。
橋田さんの本を読むと強い信念を持った方だということがわかります。
安全圏から報道することもできましたが,それでも現地に潜入し続けました。
「使命感」が橋田さんを突き動かしたのでしょう。
そして「現場の力」を大切にしていました。
現場で同じ空気を吸って,同じものを食べて,五感をフルに活用するのです。
正確な報道には情報が必要不可欠です。
安全圏にいても情報収集は可能だったはずです。
当時も大手報道関係者はイラクから撤退していました。
でも,それだけでは正確な報道はできないことも橋田さんはご存じだったのでしょう。
前回の最後に「井の中の蛙」について言及しました。
タイトルに書いた後半は「後付けされたもの」と言うのが通説ですね。
一つの場所に長くとどまることで理解を深めることの大切さを説く。。
なんて美談風味に語られることもありますが,間違いだと思います。
しょせん井の中の蛙は井の中の蛙に過ぎない。
。。というのが,わたしの結論です。
空の青さや深さを知っていても,それは限定的なものです。
本当に空の深さを知りたいなら高いところに行く必要があります。
行動の伴わないことは,しょせん机上の空論に過ぎないのです。
まぁ,後付け説が強い言葉に正しいも間違いもありませんが (笑)
表面的な知識を取り入れて分かったような気分になる人が大勢います。
そのような人の論点は薄っぺらく浅はかな評論家の視点に過ぎません。
当人が今まで過ごしてきた環境や経験によってもバイアスがかかります。
昨今ブームになっている「反原発論」はその筆頭でしょうね。
実際に体験できなくても感情移入をしたり,知識を深めることで理解は深まります。
そこに少しの行動を加えることで,さらに理解は深まるのです。
百聞は一見にしかず,実体験は知識に勝るのです。
昨今の情報化社会において,この能力が欠如した人は増えたような気がします。
おゆとり様を笑いものにしている場合ではありません。
乱暴な表現ですが,これは国民総アスペ現象です。
* ゆとり世代や病気の方をバカにしているわけではありませんよ。
「井の中の蛙」ではなく「考える芦」でありたいな。。と思うのでした。
話は変わりますが。。
わたしの文章は長ったらしかったり,小難しかったりするようです。
言い回しも固いので,頭でっかちな印象を与えているのかもしれませんね。
だからといって,唐突に「なんだってさ」みたいな書き方はできません。
理由は単純に「わたしのイメージが崩れる」から (笑)
こんな拙い文章を読んでくださる方に感謝します。
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